平等院(びょうどういん)
京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、
古都京都の文化財”の一部として世界遺産に登録されています。 |
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街は洗われ空気も澄みわたり眺める景色は色づき
畑の稲穂も黄色に染まりすっかり秋めいてきました。 |
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これより先は宇治を代表する場所、歴史を誇る平等院へ覗いて見ることに |
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平等院は藤原氏ゆかりの寺院であり
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝えています。
「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されております。山号を朝日山と称します。
門を入ってすぐに重要文化財「養林庵書院」
中は見られませんでしたが
襖絵や床壁絵と平庭枯山水とが桃山様式を残しているようです。 |
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こちらは「浄土院」、そもそも平等院の宗派は17世紀以来浄土宗と天台宗を兼ね、
現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっているそうです。
秋の七草の「萩」です。「萩」の字とは「秋」の「草(草かんむり)」ですね
まさに秋です |
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これからはじまる1000年の歴史
平等院の「阿弥陀堂(鳳凰堂)」
最高の仏師定朝によって作成されら「阿弥陀如来坐像」があのむこうに
世界遺産と参りましょうか!
約1000年前に建立された建造物や仏像に胸ときめきます |
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「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されているだけあって美しい姿を見せてくれます。
鳳凰堂は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、
その美しい姿を水面に映しています |
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ちなみに日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、10000円紙幣には鳳凰堂の屋根上に飾られている鳳凰がありましたね
横に長い鳳凰堂を3分割で眺めると正面右側にかかる橋から鳳凰堂への入り口へと参り |
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お堂中央には金色の丈六阿弥陀如来像がお座りでお顔がのぞけました。
お堂左側は柱や天井の装飾は色あせていますが、当時は華麗なものだったに違いありません |
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中堂の屋根上には1対の鳳凰(想像上の鳥)像が据えられています。
現在屋根上にあるのは複製のようですが、本物(国宝)は取り外して別途保管されていました。
鳳は雄、凰は雌を指し、羽ある生物の王と言われてますが
鳳凰を「火の精」またはフェニックス?
今にも舞う姿を想像します |
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随分とお手入れをされているようですが
どの風景も気持ちよく、まだ早いかもしれませんが冬支度でしょうか?
草や木にも癒されます。 |
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春には「ふじ」が、夏には「さるすべり」が |
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秋には「すすき」が四季を楽しませてくれるのですね
「音の三井寺」・「銘の神護寺」・「姿、形の平等院」と謳われるぐらいあって
美しい鐘に平安の貴族の住居「寝殿造り」とやらを見せてもらいました。 |
■概 要■ |
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏の源融(みなもと・の・とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、関白藤原道長の別荘「宇治殿」となったものです。 |
■見どころ■ |
国宝
鳳凰堂・木造阿弥陀如来坐像・雲中供養菩薩像51躯
鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面・木造天蓋 ・金銅鳳凰1対・梵鐘 |
■歴 史■ |
平等院は十一世紀の中頃(西暦1052)平安時代後期、藤原氏の全盛期に宇治関白頼通公が、父道長公の別荘を改めて寺院にしたものです
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